ご報告をさせていただきます、京都で弁護士をしております中島と申します。
台湾とマレーシアのご報告がありました。環境市民訴訟、あるいは環境公益訴訟と呼ばれる訴訟で環境問題に取り組むわけですが、日本では環境市民訴訟、あるいは環境公益訴訟という類は存在しません。日本では公害被害者が、法律的な根拠としては、不法行為にもとづき、企業に損害賠償、もしくは差し止めの訴訟を起してきた。私が今から報告することは、被害者自らが損害賠償の裁判に取り組んできた日本での経験を紹介します。
日本での被害者による公害裁判は、非常に旧い歴史がある。100年以上前に栃木県の足尾銅山からの鉱毒によって、下流住民が農業被害などの深刻な被害を受け住民が運動に立ち上がった。午前中の報告にありましたが、警察が暴力的に弾圧し押さえ付けた。足尾鉱毒事件では運動拠点となった谷中村があり、村ごと鉱毒を沈殿させる遊水地となり、強制的に村は消滅させられた。強制廃村になった悲惨な歴史がある。大阪で、大阪アルカリという会社が、工場生産の過程で亜硫酸ガスを排出し、周辺農地に様々な農業被害を発生させる事件がありました。結論的には、住民裁判は勝利したが、裁判の過程で1916年12月に現在の最高裁判所、当時は大審院と呼ばれていたが、そこで加害企業が相当の設備をすれば過失は無いという判決を出した。この判決を克服するのに50年以上の歴史が必要であった。それを考えると大阪アルカリの判決は、大きなマイナスの影響をもたらした。
日本で公害裁判が本格的に展開されるのは、1960年代の後半からであります。1967年6月に新潟の水俣病訴訟が提起され、1969年の6月まで四日市大気汚染公害訴訟、イタイイタイ病訴訟、熊本水俣病訴訟などが相次ぎ提起される。1970年代前半に四大公害訴訟と呼ばれる裁判で住民側の勝利判決が相次いで出された。日本の公害裁判における大きな転換点であります。敗北から勝利へ大きな転換があった。公害裁判の本格的な展開と勝利を支えてきた条件は幾つか考えられますが、挙げるとすれば次のようなものと考えます。
1つは1960年代高度経済成長の元で日本全国各地に公害被害が拡大し深刻な被害を招いた。2つ目は、戦後成立した新しい日本憲法の下で住民権利意識が大きく高まってきた。3つ目は、青年法律家協会という法律家の任意団体があるが、団体に結集する人権感覚に富んだ若い弁護士集団が大きく拡大してきたこと、4つ目は、被害住民の立場に立った医師・科学者・研究者を結集することができたこと、この条件が重なり60年代後半から70年代前半にかけて公害裁判が本格的に展開し被害住民が勝利をするという状況を生み出した。
次に公害訴訟の果たした役割として幾つか指摘をします。第1は、被害者・弁護団・専門家・支援者が協働で進めてきたことが被害者の救済という勝利の展望を切り開いてきた。第2は、被害者救済の法理論が構築され発展してきた。先程申し上げましたように、日本の公害訴訟は主に民法の不法行為に関する理論を元に取り組まれてきた。不法行為に関する理論は、公害訴訟の中で発展しました。中身を少しご紹介しますと、1つは、因果関係の問題です。企業の廃水や排煙と被害発生をどう立証するのかが問題である。公害訴訟では、因果関係の問題は自然的な因果関係をすべて解明することは不必要であると、発生させた被害責任を企業に帰属させることがいいのかどうか、それを判断できる因果関係を証明できれば良い。これが、法的因果関係論の考え方で確立しました。
2つ目は、疫学的関係論という考え方で、被害住民の生活に根ざした具体的事実に基づいて公害原因になる環境因子を特定する。疫学的調査の方法を活用し因果関係を立証する方法である。これも裁判所に採用させることができた。
もう1つは、大気汚染公害訴訟では、コンビナートに多数の企業が集中しています。企業全体に公害大気汚染の責任を負わせることができるのかどうかも大きな論点となった。日本の法律では、共同不法行為に関する規定があり、この規定を活用しコンビナートを構成する全ての企業に責任があることを裁判所に認めさせた。
次に責任の問題で、故意過失ですが、先ほど紹介しましたように大阪アルカリ事件では、戦前の判決では、加害企業は相当の設備をすれば責任を免れるという考え方でした。1971年には、新潟水俣病訴訟では、企業は相当な設備だけではなく、最高の基準の設備にしなければならない。それでも、尚且つ人の生命や健康に危害があった場合には、企業は操業してはならない。操業停止まで要請される。相当な設備だけでは、責任は免れないとした考え方が確立された。この判決以降、公害事件では、加害企業は、被害発生の予見ができれば過失があるとした。予見できるかどうかは、世界最高の科学技術水準に基づき、加害企業に対しては厳しい責任を取らせるようになった。
最後に損害の点について言いますと、従来の損害賠償は、個別の被害者に個々にどのような被害が発生しているのかを積み上げるという考え方で、損害賠償がなされてきた。これでは、被害者に損害額でアンバランスが発生するので適切ではない、被害者全員に可能な限り一律平等に救済することを考えるべきである。人の生命や身体に対する侵害それ自体を損害として考えて、包括一律請求という新しい損害賠償請求という方法を、被害者側から主張され、裁判所も受け入れ、定型的に損害額を認定することがなされるようになりました。不法行為に関する法理論が発展してきたことが、公害裁判の大きな成果である。もう一つ重要なことは、公害裁判を闘った被害者達が、被害の救済だけを求めるのではなく、被害を生み出した根本になった公害を無くす、環境を元に取り戻す運動を全国各地で展開する。4番目は、公害環境に関する法律整備の改善に大きく寄与してきた。60年代後半での相次ぐ訴訟の提起は立法に大きく影響があった。70年の公害国会では、公害関係14法律が成立した。72年7月の四日市大気汚染公害訴訟で原告が勝利したことで、1つの企業だけではなく地域全体の汚染物質排出を減少させる。排出総量規制という考え方が導入された。裁判によらず、公害被害者の補償救済を実現させるために、公害健康被害補償法の制定契機になった。公害関係法律が整備されることで、公害環境に関する規制や環境基準が定められ、基準を超える環境汚染があれば違法で、企業に過失があると認めさせることができる。
最後に日本の公害訴訟について、今後の課題として話をします。公害訴訟というのは、発生した公害被害で、事後に被害者を救済することが中心的な課題であった。重要なことは、公害被害を発生させない、事前に差し止めることであります。公害被害の事前差し止めについては、日本の裁判所は消極的であります。台湾やマレーシアから報告があった消極主義が日本でも蔓延しています。それを突破し、公害被害を事前に差し止めることが重要な課題となっている。2つめの課題としては、公害という健康や身体が蝕まれるといった目に見える被害ではなく、景観、アメニティとか自然の問題を含めて環境保護をどうやって実現していくのか、法制度、景観やアメニティ、自然環境保護に向けた法制度の強化が重要な課題である。3つ目は、事前差し止めや環境保護の法制度の強化を実現するためにも、市民が訴訟を起すことのできる権利をきちんと確立することが大事である。
我々は新しい課題に向け様々な取り組みをしていることを報告し、私の報告を終えます。どうもありがとうございました。