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公害経験から環境再生へ

各地の取り組み

兵庫県尼崎市

阪神工業地帯の中核 -公害日本一の町
公害の町「尼崎」(1961年)
阪神工業地帯の中核
公害の町「尼崎」(1961年)
古い歴史のある城下町尼崎、その南部は芋畑の広がるのどかな農村でしたが、戦前大規模な埋立地に工場群が進出、阪神工業地帯の中心的な役割を担っていました。 戦後の復興と、高度経済成長に伴って生産活動は急速に発展し、ばい煙は市内南部の空を覆い、やがて燃料が石炭から石油に替わって亜硫酸ガスが市民の健康を奪い、大気汚染日本一の公害の町となりました。工場からの公害に加え、市内を分断している国道43号線が、さらにその上に阪神高速道路が建設され、やがて一日通行量18万台に達するまでになり、撒き散らす排気ガスが加わって、公害を一層激化していったのです。
公害反対運動、その中核として患者会の闘い
神戸地裁判決「完全勝利」の旗
神戸地裁判決「完全勝利」の旗
(2000年1月31日)
これに対する大気汚染公害反対運動が広がるなか、1971年尼崎公害患者・家族の会が結成され、公害反対運動の中心となって活動を強め、1986年12月、483人という大型裁判を始めました。
提訴以来12年、阪神大震災の被害を受けながら闘いを進め、1999年3月企業9者と判決を取らずに和解解決、そして翌年1月、残る国・阪神道路公団に対し神戸地裁は大気裁判史上始めたの「差止め」を認めた原告完全勝利の判決を下したのです。大阪高裁では一回で結審、和解勧告を行い、12月、国・公団と原告団は「大型車削減のための交通規制」を約束して和解したのでした。
和解後も続く道路公害との闘い
国道43号線の車の列
国道43号線の車の列。
上を阪神高速道路3号線が走る。
ところが、和解後開かれた連絡会で国は「大型車規制は出来ない」と約束を破棄、2002年10月原告団は「公害等調整委員会」に「あっせん」を申請、公調委はほぼ原告の考えにそった「あっせん案」を提示、双方受託、新しく公開による連絡会の闘いが再開されました。
「道路を造るだけが仕事」といっていた国に対し「環境に配慮した新たな道路政策」作りへの転換という困難な闘い、漸進しつつあるものの8年30回に及ぶ連絡、いまだに闘いが続いています(2009年1月末現在)。
まちづくり活動、国も行政も追随して

裁判進行中の1996年6月患者会は「尼崎南部再生プラン」を発表しました。
企業との和解が成立し、1999年9月活動の拠点「赤とんぼ会館」を設立、患者さんや地域の人々をまきこんでいろいろな講座を開設、好評を得ています。2001年3月には「まちづくり」のための「尼崎南部再生研究室(尼研)」を開設。地域の魅力を見直した「まちづくり」の活動も始めました。

尼研による運河クルーズ
尼研による運河クルーズ
調査と研究を重ねた「運河クルージング」は大人気となり、やがて大臣の現場試乗もあって国は「運河の魅力再発見プロジェクト」を創設、尼崎を選定するに至りました。
これを受け「運河協議会」を設立、レクリエーションに、健康増進の場に、交通に、生涯学習の場に、そしてイベントの場にと多目的な効果を担った「計画案」を完成、2008年度から実現に動き出しています。
三和市場での「尼いも茶屋」
三和市場での「尼いも茶屋」
(2006年10月1日)
絶滅していた尼崎の名産「尼いも」、苦労の末にようやく3年で「復活宣言」を出すまでになり、この間、小学校や地域での栽培、「芋料理教室」「尼イモ茶屋」開設等々で市民の大きな声援を受けています。尼崎市もこれに便乗し、2007年に尼いもを使っての「焼酎」を作り「尼の雫」と命名、市販して好評を収めました。
これら活動の中心となっているのが、地元のことを地元に伝える情報誌「南部再生」です。季刊、無料配布で1万部を発行、銀行・公共施設・協力店などに置いて、すっかり市民権を得た存在となり、2001年から2009年2月までに31号の発行を続けています。

尼崎公害患者・家族の会としては、再生プラン発行から2009年までの13年で一定の成果をあげてきましたが、さらに新たな夢を盛り込んだ「尼崎再生ビジョン」を作って「まちづくり」一層の発展をと考えております。

全国公害患者の会連合会
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